本当に酷い目に遭った、と思ったのは後にも先にもこの時だけだ。
2001年10月28日。またしても雨のレース、悪条件には定評のある美和マウンテンエンデューロ。遠くは広島県まで来て一周も出来ない体たらく。全然楽しくなかった。どこが愛のあるコースじゃコラ。当時読んだ某サイトのレースレポートには全く共感できなかった。
前年はサポート兼運転手兼カメラマンで観戦していて、晴れだったら何とかなると思っていたが甘かった。自分を勘違いしていた。下手すぎた。
それでも上級者は道なき道を走っていく。沼を、川を、林の中を。
あまりのレベルの差に茫然自失、五里霧中、四面楚歌。しまいにゃマシンも機嫌を損ねエンジンすら始動しなくなった。当然リタイア。完走率はかなり低かった(ちなみにトップですら4周、1周以上出来た人57人、1周も出来なかった人150人以上)。
二度とゲロレースにゃ出るものか。心に誓った。
ナイト隊websiteを始めた頃の日誌では言葉少なめに触れている。過去の日誌(2001.10.29参照)あまりにも不甲斐ない自分とくそったれのゲロコースな設定に怒りすら覚えたから。
ナイト隊の活動を見てもらえればよく分かると思うが、その後は2002年の晴れた火の国スーパーエンデューロに出た以降はエンデューロレースからすっぱりと足を洗ったのであった。
勿論のことだがゲロ(が出るほど酷いコース設定の)レース好きの方々を否定はしない。個々人で「楽しんでいる」のならそれで良いのです。
こりごりと言いつつバイクを離れられないワタシは別の方向に楽しみを見出すことになるわけだ。(続く)
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