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2008-05

たんけんぼくのまち、吉野編。

鹿児島市北部の吉野町に磯山遊園地(磯山公園)と言うのがある。その昔は磯庭園(現・仙巌園)からロープウェイで上れたのだがとっくの昔に廃止。公園自体も桜のシーズンだけ開けているらしい。
その公園へはぐるりと迂回して車で行けるのだが、地図を見ると手前になにやら細く下る道があるのだ。

国道10号線の磯街道は片や断崖絶壁がえんえん続く道で大雨が降ると道路そのものの通行が制限されるほど。1993年8月6日には大規模な土砂災害も発生している(俗に言う8・6水害)。

そんな吉野台地と国道10号を繋ぐ道とはなんぞや?と以前から気になっていたし、Mr.Tが「あそこは凄い道だ」と煽るので行ってみたのであった。

車止めのゲートあり

分岐からしばらく下ると舗装がはがれかかっていると言うか土砂で覆われつつある道になり、遂には車止めのゲートが。
そこから先は階段+スロープ、と言うか側溝に蓋してあるだけか。

結構な斜度

何しろホイールベースの短いBW’Sなので恐る恐る下る。途中でコンクリート舗装になるが苔が生えていて微妙なブレーキコントロールが求められるぞ。ロックさせたらスリップ。この斜度では転倒必至。

踏み切り即国道

くねくねと数件の民家の路地を抜け、踏切へ到達。近くのバス停には花倉(けくら)と書いてあった。

左右に民家あり

手前に廃病院があった(上写真では右奥)が、あれが件の8・6水害で土砂の直撃を受けた花倉病院だったのだろう。ググってみると、現在は別の場所に移転しているようだ。
と言うか、まだここに住んでいる人がいる事が驚きだ。林道ライダーであるからして田舎(失礼)に行く事が多いが、どうしてこんな所にって場所に民家があったりする。
いつ崩れてもおかしくないような崖下に、実際に災害に遭っているのに、やはりここに住むしかないのだろうか。…余計なお世話か。

さて、たんけんちずの代わりにGoogle Mapsへのリンクを。


大きな地図で見る

矢印から右下へ下っていくのだ。左側の「+」で拡大していくと小道が出てくる。便利な世の中だ。

エアーメモリアルin鹿屋、2008。

滑走路へ移動するP-3Cの編隊

今年も天気が良かった。航空祭日和だった。
海上自衛隊の航空基地なのでブルーインパルスは来ないけどまったりと出来ると思う。
地元鹿屋市もかなり協力しているイベントのようだ。
飛行展示プログラムもまったりしている。P-3C編隊飛行、救難ヘリコプター、空挺部隊降下、民間のアクロバットチームによる飛行など。

そんな中、地上イベントで今回初登場、それがミニP-3Cだ。
かわいいヽ(´ー`)ノ
見たことないけど、ブルーインパルスJrのパクリか?

怪しい潜水艦発見との無線が入った…
敵潜水艦を発見!
哨戒中に敵潜水艦を発見!

魚雷発射!
魚雷発射!逃げる潜水艦。

命中!
命中!潜水艦、真っ二つ。煙モクモク。

確認するミニP-3C
撃沈を確認するミニP-3C。日本の海は守られた。

これはなかなか面白かった。ラジコン魚雷のとぼけた動きも笑いを誘っていた。そっちじゃないぞーとかのヤジもあったな。
小さいお友達だけじゃなく年老いた方々も大喜びだった模様。結構お年寄りが多かった。

他にも色々イベントが組まれていてすべて網羅しようとすると昼飯を食う暇もないほどなので午後のアクロバットはパスして厚生センターの食堂で定食を食べていた…。施設内の建物内に入れるとは知らなかったよ。

トリは本物のP-3Cによる変態じゃなくて編隊飛行その他展示で終了。
機体がでかいだけになかなか迫力がある。
低空飛行で爆弾投下した直後、な設定
まぁこんな感じで。
ともかく飛行機好きにはたまらない一日だった。

さらば桜島
帰り道は少々渋滞していたが、バイクの利点を遺憾なく発揮し、無事フェリーにも乗り込めた。
さらば桜島、さらば大隅半島。またの機会に。

2DAYSが終わって…

筋肉痛です。
二日間林道漬け、しかもとても濃い面子で、イベント(トラブル?)もいろいろ。
とても楽しく、とても心地良く疲れました。

写真はぼちぼち編集します。
まぁ今回の目玉は一日目だとこれでしょうか。

M谷XRに牽引される大魔神RMX、なぜかライダーが交代してるけど

初めて見たよ、実際に牽引されてるのは(笑

18年ぶりの再会だった。

多分18年もしかすると17年か?昔すぎて良く覚えていないのだ。

若かりし頃はゲーム大好き人間であった。
「はみこん」とかのショボい奴ではなくて所謂アーケードゲーム一筋だった。
刹那的な生き方を象徴するかのように友人たちとシューティングゲームをやっていた。
まだ対戦格闘ゲームなど無かった。
先に進めない時は上手い人のプレイを観察したりアーケードゲーム専門雑誌を参考にしていた。

とあるゲームセンターに所謂コミュニケーションノートが置いてあり、情報交換と言うか落書き帳と言うか誰でも書き込み・閲覧ができた。ワタシはCOMと名乗って雑文を書いたりしていた。

そんなとある日に前述のゲームの上手い人物から声をかけられた。
コミュニケーションノートとかゲームのハイスコアでB(中略)!と言うスコアネームであるのは知っていた。
何でも全国規模で巡回閲覧されているコミュニケーションノートの書き手にならないかとの誘いだった。
他にも色々と声をかけていたようだった。
それからは彼の社交術でゲーセン・ノート仲間が増えていった。

件の全国規模のコミュニケーションノートは、全国と言っても当時10箇所も無かったと思うが、活発なゲーマーたちのネタを披露し回し読みすると言うような趣旨(かなり意訳)で交換されていた。
何故そんなものが鹿児島に回ってきたのかと言うとどうやら前出のアーケードゲーム専門雑誌のゲームに関する公募論文に入選したF姉氏とその編集者、と言っても同人誌に毛の生えたような体制だったみたいだが、そこら繋がりであったらしい。

そのF姉・妹氏とB(中略)!氏との繋がりの切欠は未だもって謎ではあるが、鹿児島と他都道府県他地区との回覧ノートでの奇妙で微妙な交流が出来たのだった。

そもそもは新潟と富山を行き来するものから始まりそれは「NTのおと」と呼ばれていたらしい。
後に金沢が加わり「NTK~」となったらしい。
その後も東京、名古屋、京都、津軽(弘前)、と頭文字にNTKに関わる地域を巡回していて中にはイレギュラーもあったと思うが、1990年前後はそこらへんが多かったと思う。
と言うか、強烈なキャラクターが多かった…。

金沢のライターにボワヲ先生(本人の名乗るペンネームとは一切関係ないのだが)と呼ばれる人物がいて、趣味の一つに旅行があるということだった。

長い前置きであったが、要するにその男が久しぶりに鹿児島にやってきたのであった。
ノートとも離れゲーセン仲間とも音信不通であったが最近になってNTKライター達ともweb上で再会し、その縁で連絡してきた次第である。
面白いものですね。そして嬉しいもんです。人生は。

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