多分18年もしかすると17年か?昔すぎて良く覚えていないのだ。
若かりし頃はゲーム大好き人間であった。
「はみこん」とかのショボい奴ではなくて所謂アーケードゲーム一筋だった。
刹那的な生き方を象徴するかのように友人たちとシューティングゲームをやっていた。
まだ対戦格闘ゲームなど無かった。
先に進めない時は上手い人のプレイを観察したりアーケードゲーム専門雑誌を参考にしていた。
とあるゲームセンターに所謂コミュニケーションノートが置いてあり、情報交換と言うか落書き帳と言うか誰でも書き込み・閲覧ができた。ワタシはCOMと名乗って雑文を書いたりしていた。
そんなとある日に前述のゲームの上手い人物から声をかけられた。
コミュニケーションノートとかゲームのハイスコアでB(中略)!と言うスコアネームであるのは知っていた。
何でも全国規模で巡回閲覧されているコミュニケーションノートの書き手にならないかとの誘いだった。
他にも色々と声をかけていたようだった。
それからは彼の社交術でゲーセン・ノート仲間が増えていった。
件の全国規模のコミュニケーションノートは、全国と言っても当時10箇所も無かったと思うが、活発なゲーマーたちのネタを披露し回し読みすると言うような趣旨(かなり意訳)で交換されていた。
何故そんなものが鹿児島に回ってきたのかと言うとどうやら前出のアーケードゲーム専門雑誌のゲームに関する公募論文に入選したF姉氏とその編集者、と言っても同人誌に毛の生えたような体制だったみたいだが、そこら繋がりであったらしい。
そのF姉・妹氏とB(中略)!氏との繋がりの切欠は未だもって謎ではあるが、鹿児島と他都道府県他地区との回覧ノートでの奇妙で微妙な交流が出来たのだった。
そもそもは新潟と富山を行き来するものから始まりそれは「NTのおと」と呼ばれていたらしい。
後に金沢が加わり「NTK~」となったらしい。
その後も東京、名古屋、京都、津軽(弘前)、と頭文字にNTKに関わる地域を巡回していて中にはイレギュラーもあったと思うが、1990年前後はそこらへんが多かったと思う。
と言うか、強烈なキャラクターが多かった…。
金沢のライターにボワヲ先生(本人の名乗るペンネームとは一切関係ないのだが)と呼ばれる人物がいて、趣味の一つに旅行があるということだった。
長い前置きであったが、要するにその男が久しぶりに鹿児島にやってきたのであった。
ノートとも離れゲーセン仲間とも音信不通であったが最近になってNTKライター達ともweb上で再会し、その縁で連絡してきた次第である。
面白いものですね。そして嬉しいもんです。人生は。
コメント