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2009-11

夜走る。

人間誰しもこだわりがあると思う。

バイクで走っていて夜になったらそれはナイトランの範疇に入るわけだが、街灯もガードレールもない林道では常に危険をはらむ。それは厳しい自己責任の元に必ず帰還すると言う強い意志を併せ持つものだけが楽しむことが出来る世界。これぞ即ち「ナイトツーリング」であると捉えることから我が隊の行動指針は定まったのである(うそ)。

闇を切り裂くヘッドライトの灯りを頼りに山を駆け抜けろ。おっとこれの元ネタは隊員(1の方)が作ったコピーか。
ナイトツーリングは楽しい。同じ林道でも昼とは全く違った表情を見せてくれる。
走り方も変わる。中には夜の方が速い御仁もいたりするのも摩訶不思議。
電装系チューン一つでちょっとだけ優位に立てたりする。ワタシの数少ない得意分野を活かせる(かもしれない)カテゴリー。しかし現実はHIDの低価格化等であっさりと元の木阿弥へ…。

 
80年代後半、オフロードバイクは軽量化が進む。男は黙って左キック(…は当時のKTMに勝手につけたコピーだ)ではないが、エンジン始動はキックのみ!が当たり前の時代だった。その前にセルモーターを積んだオフ車はまだ無かったわ(ビッグオフやFTRは別枠。もうちょっとするとセローがセル搭載)。
ハロゲン球が採用されヘッドライトもコンパクト化。遂にはバッテリーすら無くなった。XLR、CRM、DR、TS、DT、KDX、KLXと各社鉛の塊をそぎ落としていった。
# そんな中でXLR-BAJAは二灯ヘッドライトでの異様な威容を誇り、重さを犠牲に明るさを取った通好みの名車だと思う今日この頃。何故かXLRでは省略されたオイルクーラーも標準装備!発電能力の低いXLRを選んだことをちょびっと後悔した…でもいいバイクだったよ!

そのXLRに乗っていた頃に某ショップのナイトラリーへ参加しコマ地図の読み方と夜間に難所を走らせる非人道的なる処遇(笑)を教わる。この楽しさをオンロードバイクの友人達にも伝えたい味わって貰おうとまずは単なる夜のツーリングへ誘いつつ慣れた頃に「舗装林道をレーサーレプリカでナイトランする企画」を立ち上げ、結果ワタシはナイトツーリング隊の隊長と呼ばれるようになった。1994年のこと。それにしても、鬼だ。その後二人オフへ転向したが今は乗っていない…。
 
XR購入後はちまちまと電装系をいじりオフ仲間連中と昼も夜も林道ツーリングを重ねていた。
そしていろいろ憧れを忘れないワタシ。
四国スーパーエンデューロラリー略してSSERは必ず夜のステージを含み、真の林道王を決するべく全国屈指のスペシャリストが集うイベントだと伝え聞いていた。そこでも差が出るのはやはりナイトランであるからして電装系を制するものがSSERを制すとも言われていた(誇張)。
電気に少なからずとも興味のある身としては雑誌媒体のささやかな特集ページを食い入るように読み古本屋を回ったり専門書を紐解いてみたり…仕舞いには発電コイルの巻き直しに手を出すこととなるわけだ。
でも結局、SSERへ出ることは無かった。遠い。エントリー高い。ひっくるめると金が掛かりすぎる。地元だったら…と歯軋りしていると人吉方面でナイトラリーがあるらしいとの情報を大魔神が持ってきた。
2000年春先のことだったかな?(続く)

ゲロレースはこりごり。

本当に酷い目に遭った、と思ったのは後にも先にもこの時だけだ。

2001年10月28日。またしても雨のレース、悪条件には定評のある美和マウンテンエンデューロ。遠くは広島県まで来て一周も出来ない体たらく。全然楽しくなかった。どこが愛のあるコースじゃコラ。当時読んだ某サイトのレースレポートには全く共感できなかった。
前年はサポート兼運転手兼カメラマンで観戦していて、晴れだったら何とかなると思っていたが甘かった。自分を勘違いしていた。下手すぎた。

それでも上級者は道なき道を走っていく。沼を、川を、林の中を。
あまりのレベルの差に茫然自失、五里霧中、四面楚歌。しまいにゃマシンも機嫌を損ねエンジンすら始動しなくなった。当然リタイア。完走率はかなり低かった(ちなみにトップですら4周、1周以上出来た人57人、1周も出来なかった人150人以上)。

二度とゲロレースにゃ出るものか。心に誓った。

ナイト隊websiteを始めた頃の日誌では言葉少なめに触れている。過去の日誌(2001.10.29参照)あまりにも不甲斐ない自分とくそったれのゲロコースな設定に怒りすら覚えたから。
ナイト隊の活動を見てもらえればよく分かると思うが、その後は2002年の晴れた火の国スーパーエンデューロに出た以降はエンデューロレースからすっぱりと足を洗ったのであった。

勿論のことだがゲロ(が出るほど酷いコース設定の)レース好きの方々を否定はしない。個々人で「楽しんでいる」のならそれで良いのです。
こりごりと言いつつバイクを離れられないワタシは別の方向に楽しみを見出すことになるわけだ。(続く)

長丁場のエンデューロにも出たりした。

朱に交われば赤くなる。

FLEXに出入りするようになりある程度難所遊びを楽しめるようになると大楽さんを始め店の常連達からのエンデューロ出場の誘いが頻繁になってきた。
実はモトクロスコースをぐるぐる回るだけの「耐久モトクロス」のエンデューロもどきには興味なしだった(学生の頃友人たちが出ていたのはこれだ)。何しろトシ西山氏の著作を読んで感化されていたのでエンデューロ即ちISDEだとの刷り込みがあった。もちろん遠い世界でのお話で、憧れでしかなかった(ほんの数年後に本人と会う機会が来るとは…!)
とは言え自分のレベルでは難所続きのレースだと爆死間違いなしなので初めは頑なに拒否していた。

 
気が付けばこんなところを走っていた…。一周20km以上、山あり谷あり川あり。
まさに下手の横好き。

2001年夏、御所にて
# 2001年夏、Super GFED in 御所。ここは浅い方の川だ。深い方では毎周水没してはエキパイを外していた。とにかく川がきつかったがタイムリミットギリギリでゴール出来て充足感いっぱいだった。抽選でデジカメも当たったしね!

実際のところ、エンデューロ参戦は2000年あたりからだ。
雨の火の国で酷い目に遭ったり、Super GFEDも時間切れリタイアとか成績は芳しくなかった。
唯一まともに走れる!と思ったのはご存知第1回よさりのラリーであった。
しかしまだまだやれると勘違いしていたワタシが大きな転機を迎えるのは2001年秋…(続く)

林道野宿旅、をしていたこともある。

オフ車に乗るきっかけは寺崎勉氏の著作と出合ったことだ。
林道日本一周等、若干18歳の高校生には憧れ以外の何物でもなかった。
その後バイクに乗るようになり、地形図を見て林道を探したりキャンプ道具を積んで野宿したりしていた。

いざオフ車に乗り出すとXRが憧れのバイクとなった。XLRに乗りながらもいつかはXR、と思いを馳せていた。
当時はレースに出るなんて考えもしなかったくせに。せいぜい友人たちのエンデューロ出場の手伝いをするくらいだった。自分には速さを磨く以前に才能が無いと諦観していた。

そうこうしつつも後にXRを入手し、更に出来るようになったバイクだと感じた。
早速慣らしもそこそこに野宿旅に駆り出した。
目指すは九州一の長さを誇る内大臣・椎葉林道。結構なフラットダートだ。単に長いだけとも言う。荷物満載では楽しむより耐える比率が大きかった。それでも満足だった。走り抜ける喜びとでも言いましょうか。

椎矢峠にて
# まだフィルムカメラ全盛の頃だったのでネガをスキャンしてみた。1998年9月、椎矢峠にて。まだ白いME08。

思えば林道野宿旅とはバイク、旅、キャンプ、カメラ、読図と趣味の集大成のようなものだ。ラジオも持っていった。何しろ一人旅、夜はちょっと静かすぎる。
いつでも行動は一人が基本だと思っているので普段の林道ツーリングでも重装備である。工具、非常食、水、ロープ等々、一緒に走った人は皆知っている筈。

 
今じゃすっかり夜走ったり難所走破したりしていたサンデー林道ライダーっぽいレースイベントのカメラマン的なポジションでしょーか。実際あまり乗ってないし…。

サンデーエンデューロ終了、写真編集終了…。

とりあえずアルバムuploadしました。
写真お目当ての方々はナイト隊正面からどうぞ。気の短い方は直接どうぞ。

今夜のラジオ深夜便2時台は懐かしの洋画主題歌特集か…。ゴッドファーザー愛のテーマが沁みるぜ。

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